清長山 妙傳寺

当山は宗祖日蓮聖人の法孫九老僧大乗阿闍梨本乗院日澄上人(大黒阿闍梨日朗上人の弟子)が開創した寺である。
寺伝によると、元応二年(1320年)1月21日、日澄上人は師匠の六老僧大国阿闍梨日朗上人の喪に遭遇し、翌年、元亨元年(1321年)には八十三歳の高齢をもって尾張国への布教を志した。日澄上人は日蓮聖人ご存命中に熱田神宮に法華堂があるということを聞いておられたのでそこに立ち寄ってその後にこの妙伝寺の地に来られたのであろうと推測される。一説には真言宗の寺を改宗したとも伝えられている。日澄上人は当山を開山した後、熱田(現在の本遠寺)に布教拠点を置いて、尾張の長遠寺(八剣)、妙遠寺(小針)、妙林寺(小牧)、妙蔵寺(小牧)、妙楽寺(小牧)を悉く法華宗に帰依させ、嘉暦元年(1336年)8月1日に(文中2年遷化説もある)八十八歳で小牧市南外山の誦経山妙楽寺で遷化した。当山が『当国法華弘通最初の霊場』と称される由来である。
日澄上人の布教中、一人の女人が日澄上人に出家得度を願い出て、妙典と号した。妙典尼は開基となって自宅に三十番神を安置し、その庵を清長山妙典寺と称するに至った。妙典尼は観応元年(1350年)9月13日に寂した。妙典寺はその後、熱田妙光山本遠寺(法華堂)の末寺として存続した。天正五年(1577年)の古文書に、「尾張国中島妙典寺」とある。天正七年(1579年)には安土宗論法災の余波を受け、ことに江戸初期には「唱不受布施義」による弾圧に連座し、寺は衰微し無住の時期が続いたと伝える。しかし、この村は大部分が法華宗信者のため、法燈を絶やさず寺を護った。その為に他村から「法華の村・法華村」と呼称され現在の地名になったと言い伝えている。その後、中興開山の了仙院日量上人は復興に努め、妙典寺を改めて妙伝寺とした。これは妙典寺が後世に伝燈興隆するようにとの信者の願いからでもあったと伝える。当山は明治二十四年の濃尾地震と昭和二十年の太平洋戦争によってすべて堂宇が灰燼に帰し、什物・記録・古文書もほとんど消失した。
現在の本堂は昭和28年に再建したもので、庫裡・座敷・内門・塀は昭和四十二年に新築したものである。

寺院情報


妙伝寺正面

妙伝寺御宝前
宗祖五百五十遠忌の際に建てられた宝塔

年中行事

元旦祭
     1月1日(午前0時〜1時)
節分祭
     2月3日(午前中)
ほうろく加持祈祷
7月土用丑の日(午前中)
盆施餓鬼会
   7月25日(午前中)
秋季彼岸会
   9月26日 (午前中)
宗祖報恩会式
  10月13日(午前中)

お問い合わせ

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 清長山 妙傳寺 (せいちょうざん みょうでんじ)
 〒454-0933 名古屋市中川区法華1-92-2
 電 話  052-361-6743

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